この時期になると体調が・・・

PTSDって、実際にそこで被災をしなくてもあるものだろうか。

あの大津波後の瓦礫処理で、先発隊として宿泊や駐車場などの状況も兼ねて1週間ほど行った。自衛隊員などにより、メインの道路は確保できていたが、とても当時の状況は話せる様な例えも見つからない。

仙台市宮城野区、海沿いに広く拡がる広大な農地は、何処からか流れ着いた瓦礫と自動車とコンテナが点在していた。小さな町の一角を担当する事になったが、悲惨な状況の割に住民の人達は冷静で、避難施設で共に助け合っていた。この地区では24名の方が亡くなられていた。まだ新築の家で、一階部分が流され二階の一部がわずかに残されていて、そこの飼い猫が怯えて家から出ようともしなかった。まだ若いご夫婦が毎日避難所から食料の一部を持ってきていた。

二度に亘り同じ地区の瓦礫処理に当たったが、休憩時間に仙台のミルキークイーンを毎年1俵買っていたと話すと、トラックの運転手はこの地区での農家で、もう農業は無理だと言っていた。重機担当だった若い人は、三陸町から来ていて、両親と妻と二人の女の子が未だに行方不明だと話していた。ほとんどの方が肉親が未だに安否不明だと言っていた。援助金は届いていても、戸籍がハッキリしないために支給もされず、瓦礫処理で収入を得てる状況だった。戸籍など、震災と大津波により流されてしまった事は、この状況に至っても政府は全く分からなかったのだろうか。当時の政権に対して、強烈な嫌気が湧いた。消えた年金問題を解決するとか物より人などと綺麗事の言葉に惑わされてしまったが、結果的には何もしてなかった。多くの信任を受け、国民の負託に応えるべき政府閣僚が何もしない事、何も出来ない事、対応能力の無い事は最も重い犯罪行為だと感じられた。

そして1年後に妻の末期癌が分かり、何も出来ずに10ヶ月間にわたり病室で共に過ごして、少しずつ死んでいく姿を見てるだけだった。もうじき4月20日、祥月命日になる。3月から4月にかけて、自分の両親をはじめ多くの近しい人達をみおくった。2年前には脈が消えたり徐脈になり、痛みも何も感じなかったのに倒れた。頭と心臓の精密検査をしたが、全く異状は無かった。脈も打たないわけではなく、極度のストレスにより極めて弱くなるので感じられないそうだ。

この季節、3月から5月にかけて、何も出来なくなってくる。それが年々酷くなる様にも感じる。勤めをしてなければ、たかが猫1匹だが命あるこんな動物でも同居してなければ朝も起きないかもしれない。食事を取ろうともしないかもしれない。頭が重くなり、無気力になり、徐脈になってくる。面白い事に、この時期は高血圧の薬を飲まなくても血圧が低くなる。一人だからこそ処理すべき事があるのに、全てが煩わしくなる。

こんな事、いつまで続くのだろうか。

カテゴリー: 日々の生活で, 老後の生活 タグ: , , , パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です