老後の楽しみ?

今日の様な休日になると、老後の楽しみとは何なのかを考えてしまう事がある。

現在67歳だが、来期も職場での契約更新がされる予定だ。多少の預金がまだ少し残っているし、女性パート並みの金額だが収入も望める。高血圧以外は特に病気も無く、無駄遣いをしなければ何とか暮らしていける。何よりも女性がほとんどの職場環境なので、しかも50代以上の女性が主力で同様に老朽化した機械設備が主力なので、良い意味で毎日が面白い。それに反して、休日になると落ち込んでしまう。

平成25年4月20日。妻の死亡からどの位の時間が経ったのだろうか。職場の中にもバツイチとか未亡人とか、昔であったらドキドキする様な言葉で言われる人も居るが、性差はあるものの、今は同じ独り身になってみると夫婦二人の生活に比べ、如何に毎日が大変な事なのかが分かる。子供の家族と同居や近くに借家で一人暮らしの人居るが、それはまだ幸せな方かもしれない。

老後の過ごし方は、老後の趣味は、老後の経済的な保証は、老後の健康状態は、等々、もし二人ならば「何とか成るでしょう」と笑い話で済んでしまう事まで切実な問題になってくる。問題というといささか大袈裟かもしれない。要は切っ掛けが無いと何も行動が起きてこない事だろう。予定していた事を止めても、必要な事でさえ、掃除も洗濯も炊事さえも、何もしなくても何ら問題も無いし、誰からも責められない。現在の職場に出会えなければ、今頃は全く何もしないただ寝てるだけの生活になっていたかもしれない。

事実、葬儀の後から10月の入社までの半年間はほとんど寝て過ごした。1時間以上も掛けて、妹と娘が代わる代わる毎日来てくれていなければ、食べる事さえしなかったかもしれないほどの少し鬱状態であり、外にも出られない状況だった。自営の時の友人から誘われても、外に出て働こうなどという気にも成れなかった。妹と娘が来る煩わしさから仕事を探し始めた。まだ10歳以下の小さな頃に、今の職場の初代社長宅に行った事があり、その時の話を未だに鮮明に覚えている。そんな小さな事から、面接を兼ねて行くだけはと思ったのが縁になり、65歳の定年を過ぎても未だに続いている。初代社長との事など誰も知らない事だが、広い敷地のどこかにあのころの先々代の強い念いが残り、自分との縁を繋いでくれているのかもしれない。仕事という義務感から助けられているが、完全リタイヤ後はどうなるのか。

やりたい事は幾つもある。そして今思う事は、やりたいと思った時には直ぐにやるべきだったという事だ。やりたい事や学びたい事はいくらでもあるが、老後に時間が出来たらと思っていたが、時間は出来ても思った時の様な体力が既に無くなっている。記憶力は衰え、行動は遅くなり、疲れやすくなり、指先の器用さも失い、目も悪くなって長時間の読書も出来ない。時間を掛けてそれらを克服できたとしても、残り時間の制限もある。若い時には家庭もあり、経済的な制約や仕事のために時間も無かったかもしれないが、それでも老後になったらという事は、決して考えるべきでは無かった。

老人に成ったから分かる事。それは人生の反省や繰り言ばかりになるのだろうか。

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