「愛を積むひと」を観て

映画「愛を積むひと」を観て以来、虚しいような時間の日々が、更に虚しく感じられるようになった。人との永遠の別れを悲しむというよりも、悲しむだけの時間が、愛おしく思える時間の流れがあったのかと、今までとは違う感情が沸いてきた。裏切り合い罵り合い傷付け合っても、共に生きた時間の流れがある。果たして自分にはそういう時間が有ったのだろうか、そう考えては、自分自身が情けなく思え、無駄な時間の人生であったように思えてならない。

もし冗談であの時、カアさんの名前を言わなければ、別の人生を歩んでいただろう。妹のように3年間付き合っていたケコは、高校卒業間近に「卒業したら何をしようかな」なんて話した。「とりあえず社会勉強でどこかに勤めれば。ケコはブスだから男と付き合えないかもしれないけど、その時には俺と結婚すれば。」背が低く痩せていて、あまり目立たない子だった。姉とは飲みに行ったり、ドライブに出かけたり、数人のグループで動いてた。姉は派手で美人だったが、5歳下の妹は全く違っていた。それでも3年間、実の妹に接するようにドライブやボーリングにと一緒に行ったものだ。高校卒業後、親戚の紹介で県外の大手の企業に就職し、寮まで送っていった。寮の人達には、「私の婚約者です。」などとおどけて話していた。

ケコが居なくなってからの3年間、家業の不振で気持ちは荒んでいた。父の同業者の娘、かなり年上だったが、母は反対していたが、そんな中付き合いを始めた。心配する親戚などの紹介でお見合いもした。ケコが戻ってきた頃、母の癌が発見され、半年くらいで亡くなった。災難は続き、母が亡くなると同時に家業の仕事は止まり、家も火災に見舞われ、年上の女性からは交際を断られた。マザコンだった自分は、母が亡くなると女性と付き合う気持ちにも成れず、ケコのことは気になっていたが、とうとう会うことは無かった。

荒んだ自分を励まそうと、友人の母親がよく食事に誘ってくれた。その時にフッとカアさんの名前を話した。友人宅で会って、チョット生意気な子だと感じていて、名前が忘れられなかった。直ぐにお見合いの話になり、何度もお見合いはしては断っていたので、そんな軽いのりで会った。美人だったが、結婚までは思い切れなかった。結婚を考えるような相手には思えなかった。それでも周囲から交際を進められ、同時に数人の友人から彼女は良い子だが親に問題があるとか、親戚からは興信所の報告書を渡された。

断れずに話が進む状況に、ケコに相談しようと思ったが、結局成り行き任せになった。もしあの時に興信所の報告書を読んでいたら、友人の忠告を聞いていたら、それ以前にケコに相談していたら、今頃はどういう人生になっていたのだろうか。ケコは「おまえと一緒になりたいと戻ってきたのに・・・」なんていう話は、もう結婚間近になって聞かされた。

カアさんが親の事で悩み、子供の頃から続いてた母親のパチンコ依存症や、父親の浪費癖など、二人の異常な行動と義母姉妹の非常識さに辟易して、顔に出して嫌うようになっていった。カアさんは結局死ぬまで親に振り回されてしまった。ここ20年以上はカアさんを無視してきた。さぞ一人で悩み、苦しんでいたことだろう。闘病生活の姿と共に、その哀れな一生がいつまでも消えないでいた。

映画を観てから、カアさんには申し訳ないが、もしケコと付き合い一緒に生活を始めていたら、今頃はどうなったのだろうか。両親は厳格でまじめな人で、ケコの性格も真面目そのものだった。妹と同じ高校だったが、ケコは妹を分かっていたが、妹からは見たケコは居るのか居ないのか分からない存在感だったという。付き合っていた3年間、黙々と後ろからついてくるというタイプで、自己主張も無く礼儀正しく話の聞き上手な子だった。カアさんは親のために外に働きに出て、給料はほとんど親のために使っていた。ケコなら、自営を手伝い、共に働きながら家を助けてくれたかもしれない。家業がダメになっても、シッカリと家を守ってくれたかもしれない。少なくとも、共に同じ食卓で食事をし、会話をしてくれただろう。

もう人生も終わりに近づき、振り返る時に、反省や後悔の多かったことよりも、真に信頼し共に歩めた人の居なかったことが、何とも残念で仕方ない。このような後悔の念が沸き苦しむなら、離婚も考えるべきだったかもしれない。あるいは、強引にでも自分の方に引き寄せるべきだったかもしれない。いくら悔やんでも、過ぎてしまった時間は取り戻すことが出来ない。そしてこれからの時間は、無駄に過ごしてしまった時間を悔いるばかりになってしまうのだろうか。

人は死ぬ前に、必ず何かを言い遺さなければならない。病床で携帯から、何人もの人に別れを言い、喧嘩をした相手には謝ったそうだ。葬儀の時には、多くの友人達が来ていた。最も近くで最期の時間を過ごした自分には、結局何も言わなかった。自分は、カアさんにとってどういう関係だったのだろうか。利用出来る便利な人間なのか、世間体を飾る仮面に過ぎなかったのか。外では感謝してるとか、愛してるとか、平気で言えてたが、最期の瞬間はカアさんの中には、自分の存在などは無かったように思えてきた。最期まで心配だったのは親のことだろう。結局、カアさんとは長い間共に暮らしながら、一緒の時間を過ごすことは無かったのかもしれない。

などと、自分の人生の無駄に過ごしてきてしまった事を、余りにも強く感じすぎて、先の事が考えられない。まさに、人生不可解なり

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