生きてる証が仕事のみ?

出社したら、皆が驚いていた。今日は休むと思っていたらしい。本業はほとんど無かったのに、修理など様々な仕事が待っていた。一昨年の年末頃から勤務を初めて、最近になってやっと自分が働いているという実感が沸いてる。今までが気張らし、というよりも、何かをしてないと自分がダメになりそうだった。仕事に慣れてきて、先が読めるようになって、毎日が落ち着いてきた。結局、生きるということは他者との関わりが必要なのだろうか。昔は一人閑かな所で過ごしたいと思っていた。自然の中で、自然との関わりのみで過ごす、そういう生き方が理想であった。一人閑かな時間を持てる状況になって、逆に今の自分にとって、それは非常に危険な時間でもある様に感じる。

毎日、何かをしなければという、いわば強迫観念のようなものに追われている。それを行える時間を得ると、全く何も出来なくなる。今の自分にとっての「夢」も「未来」も、もう何も残っていない。他の人達のように、健康のためとか、小遣いのためにとか、そういう気持ちは全く無い。健康で居たから幸せとも思えないし、いくら健康を追求した所で、もう人生の終わりは間近だ。小遣い稼ぎなどといっても、金を持って何になるというのだろうか。欲しいものは無いし、行きたい所も思い浮かばない。今、もし働くという事を止めたら、たぶん一日中何もしないで動かずに、ただボーッと過ごすだろう。結局は仕事以外に、生きてるという実感は感じられないのかもしれない。

本業が無い割には、充実した1日だった。明日はかなり忙しくなるだろう。でも、家に帰って一人になると、朝から何もしてなかった様な虚しさを感じてしまう。一人になりたいと思いながら、カアさんが逝ってしまって、一度も一人で過ごしたことが無かった事が分かった。一人になりたいというのは、相当に贅沢な悩みだったようだ。それだけ家族や親族の、多くの人達に見守られていた。

ただ、このまま無駄に一生を終わりたくはない。

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