『史記』現代語訳

BSで「司馬遷と武王」を見て、『史記』を検索してみた。膨大な量と内容のため、読み下し文と現代語訳と語句の解釈など、全巻を通して書かれた物は無かった、はずだった。ところが今年、『明治書院 新釈漢文大系 史記』全巻が揃ったようだ。数十年以上も掛けての大事業といえる。いつかは全巻を読みたいと思っていたが、膨大な量にたじろいでしまう。

幼い頃に祖父から、家伝の古神道を学んだ。長生き出来ない子と不憫に思ったのだろう、何度も何度も、呪文のような言葉や書や家の歴史・地理・気候・数学的な物や兵法を聞かされた。長男であった父でさえ聞いたことの無いというものまで教えられた。祖父が亡くなり、寿命とされた期間を過ぎ、普通に生活をするように成り、物事の考え方の基本に祖父の教えがあることに気付いた。初めて『孫子』を読んだ時に、祖父から教えられた内容に似てて、大いに興奮をした。その後、各種の兵法書を読み、『六韜』を知り『老子』を知り更に興奮をし、祖父を思い出した。柔道名誉八段だった大叔父が「柔よく剛を制す、弱よく強を制す、というが、柔や弱なら良いということでは無い」と話してくれたことも、『六韜』の中に見つけた。

『史記』に登場する歴史上の人物達の行動規範は、日本人の考え方の規範に成ったと思える。多くの兵法書を読むより、個々人の英雄的な活躍を読むより、その時代を把握し、そこから生まれた考え方を知るには、やはり『史記』を読む必要があると思う。

日本人独特の義理人情を大切にし、拝金主義や虚勢や虚言を嫌い、人々が平和に暮らすための「和」や助け合いは、これらの大陸の歴史書から学んだ事も多かったろう。そして外部からの攻撃の少なかった島国だからこそ、理想的に熟成されてきた、大事な人としての生き方が『史記』には有ると思う。正しい行いをしたから、認められて恵まれるとは限らない。多くの人達を守る行動をとっても、滅び去ってしまう。残虐な行動をしてても、悪いことをしても、上手く生き延びることが出来る。それらの矛盾の中で、何を学ばなければならないか。

祖父は話していた、「本当に正しい事とは、無いのかもしれない。正しい答は自分自身で見つけなければならない。最も正しいという事は、多くの人がそう認める事だろうが、それは自分自身には良い事では無いかもしれない。見る目や見る向きで、物事は皆違ってくる。」そんな内容の事を、時々話していた。『史記』には、それらの回答を考えるヒントがあるように思えてくる。

とはいうものの、あまりにも膨大な量過ぎて・・・。

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