キムチの想い出

キムチが古くなると、豚肉と一緒に炒める。このキムチを使って炒める料理だが、かなり昔、40年も昔に教えてもらった。わたらせ渓谷鉄道で、桐生の鉄工所まで通ってたオバちゃんが居た。オバちゃんは戦前に朝鮮から渡ってきた人で、キムチを漬けるのが巧かった。数人の女性が鉄工所の仕上げ加工の為に、わたらせ渓谷鉄道で来てたが、オバちゃんはその中でもリーダー的存在だった。

社長が冗談で、「あんなぐうたらな男と別れて、俺と結婚しないか。日本人としてみっともない男だ。」と言った。その時に初めて日本人ではないと知った。父もまだ元気な頃で、父もあのオバちゃんを褒めていた。社長を始め社員も、下請けの父もオバちゃんを、ある意味尊敬していた。そのくらい真面目な人だった。一緒に通ってきてた人達が桐生に越してきても、オバちゃんは仕事を辞める寸前までわ鉄で通ってきてた。

桐生に来て、鉄工所の仕事はパートのようになり、メインはキムチ作りなどになった。社長や数人の社員が、キムチを頼んでいた。本当に美味しかった。何度か行くうちに、初めてオバちゃんの事を知った。子供を育てて、今は大阪で韓国料理の店を持ったそうだ。子供達に呼ばれてるが、オバちゃんの両親が出稼ぎで足尾に来て、そこで育ったので足尾や桐生からは離れたくないと言ってた。ここが故郷になったと。ここが故郷でも、両親から教えられた料理は子供達に伝えられ、韓国料理店を始めるまでになった。その店で最も有名なのがキムチと、鱈の内臓で作ったというチャンジャで、これはオバちゃんでないと作れないそうだ。

そのオバちゃんが、残って酸っぱくなったキムチを捨てたと話したら、酸っぱくなったキムチの料理法を教えてくれた。当時は全く料理などしてなかったので、聞き流していた。自分で料理を作る様になり、初めて残りキムチと豚肉を炒めた時、余りの美味さに驚いた。面白いもので、以後キムチは残して酸っぱくなるまで待つようになった。テレビで残りキムチの料理法を見ると、あのオバちゃんがいろんな人に教えて、テレビにまで紹介されるようになったと思ってる。

桐生は多くの朝鮮半島から来た人や、その二世や三世の人も多い。桐生の食文化は、戦後かなり変わったそうで、それらは戦前から来ていた半島の人達の影響だと思う。中国の古典に憧れがあり、朝鮮料理が好きだった。中国も韓国も好きな国だった。だから留学生の力にもなりたかった。最近は中国も韓国も、最も嫌いな国に成ってしまった。残念で仕方ない。

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