死への思い

妻が亡くなると、男はボケるのだろうか。身近に、妻が先に逝くと、ボケや病気に成る者が多いように感ずる。

従姉が亡くなり、ほぼ3年経ってその夫にガンと痴呆が見つかった。原因はストレスと栄養失調らしい。周囲で随分と気を遣っていたが、特に妹などは毎日のように通っていたが、自分の妻とは違い、難しいものがあったようだ。

「お父さんは大丈夫。料理も掃除も買い物も、全部一人で出来るから」とは言われたが、出来るから大丈夫ではなく、それをする目的が無くなってしまった事が危険なのだ。息苦しさを感じたり、時には怒りを覚えたり、気分が沈む事もある。取り立てて異常は無いが、ストレスが原因での変調は多くなった。衝動買いが増え、外食も増えてきた。意識して食事にも気を付けてるが、外食を続けるとやがては偏食から栄養失調や、各種の体調不良も起きてくる。

今日は彼岸の塔婆を墓に持って行った。彼岸会の後持ち帰り、そのままだった。墓前で、娘の第2子は男子である事を報告した。報告といっても、それ程の感情も湧かなくなってきたようだ。人はやがて誰でも死ななければならない。先に逝った者を、いつまでも思い返しては悲しんでいても、何も変わらず、逆に自身がダメになってしまう。そういう諦めが出てきたのだろうか。

新しい命、第2子が男子との連絡がきた。男子だから嬉しいのではなく、一つの命が失われても、今また別の命が生まれてくる。古代より、こういう事の繰り返しが繰り返されてきた。生まれてくる子供が、どの様な生き方をし、何を思い、如何に死んでいくのか、誰人もどれ程の違いがあるのだろうか。

自分自身、後どれ程生きられるのだろうか。どの様な苦しみや喜びが待っているのだろうか。

「死は一定なり」と、誰もが死からは免れない。ただ、その時が分からないので悩み苦しみ恐怖する。また人によっては、永遠に生きられるが如く死を忘れて、目先の金品に迷うという。

人は、いつからこういう生き物になってしまったのだろうか。側で眠る猫のように、腹が減ったら食べ、眠り、生殖し、死や生を考えずに生きられる幸せから、何故離れてしまったのだろうか。死への恐怖、生への不安は、いつまでも付き纏ってくるようだ。

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