一人暮らしの開始です

法子 昨年、平成24年の夏に妻法子が肺癌四期と診断され、急遽群馬大学医学部付属病院に入院、各種の治療を行いましたが、今年の4月20日に亡くなりました。8月26日で満60歳に成るはずでしたが、残念ながらわずか数ヶ月前に、別れと成りました。結婚以来35年近く、仲が良くもなく悪くもなく、付かず離れずの生活でしたが、いざ居なくなると、何とも寂しいものです。

葬儀後も、当初は時々人も訪ねてきていました。それが次第に誰も来なくなり、毎日のように1時間かけてきていた私の妹や娘も来なくなり、静かなというか、しみじみと一人暮らしになった事を感じられます。

自分には申し分のない、頭の良い、動きの速い、良い妻でした。ただ一つだけ大きな欠点がありました。本人にではなく、義父母にです。

父親は兄弟がS学会という新興宗教の幹部で、若い頃から歌が好きでダンスが好きな父親は、お祭りごとのような派手な事が好きだったようで、余り真面目に定職にも就かず、借金ばかりを作っていたと聞きました。一見、真面目で穏やかな紳士然とした人でしたが、義母とは仲が良くなくて、離れて暮らしていました。

義母は当地でも有名な建材店の娘として生まれ、相当裕福だったそうです。一代で大変な財産を築いても、子供への躾や教育は全くダメだったようで、特に義母等女子4名に対しては金だけを与えて自由に育てていたようです。全く私の実家、父方の家とは正反対の人達で、実家との関係では常に悩んでいました。

nori-2 母親は自由奔放で激しくワガママな性格で、義父に対しては相当な愛情があったようで、それ故別居が続いていたために、パチンコ依存症になり、常に多額の借金がついて回りました。さすがに義母の実家としても、余りにもひどい生活態度で、支援はただ得たようです。母親の不満は、常に幼少期の頃から妻に向かっていたようで、信じられないような生活だったようです。

私達の結婚生活は、当初からこの母親がついて回り、当たり前のように妻を利用してきました。金銭だけではなく、ありとあらゆる事に利用してきました。その事でいくら忠告をし、大きな喧嘩をしても、けっして母親から離れる事はなく、何度も離婚届を渡しました。

時々、強引にでも離婚をしておけば、互いに違った生き方が出来たのではないと思う事もあります。愛とは別に、自分自身の生き方として、大きな無駄をしてきたと思う事があり、それは同時に彼女自身も同じ様に考えていたのではないかと思う。私には母親は既に亡く、自営であったので、夫を利用するには最も適していたと考えた、などとも思った事がありました。外では私の事が好きで好きでたまらないと、平然と言っていたそうです。私に対してのそういう気持ちが本心でも、それが絶えず起きる義母の問題によって素直になれなかったのかもしれません。

nori-3 これらの写真は5年前に写したものです。この頃、義母と義母の姉に異変が見られ、病院で認知症が出てるとの診断を受けました。その時に病院に入れるなりしてれば、今日のようには成らなかった。

夫に内緒で義母の生活を見るには、当時は既に家に戻った義父は寝たきりになってましたので、退職金の前借りをしたり、私の老後資金の定期を解約したり、借入も起こしていました。5年間経ち、退職すれば介護が出来るので、それまでの実家の生活費にと考えていたようです。

ところが、今度は3年前に義母の姉の様子が急激におかしくなり、既に5年前に認知症初期と知っていたので、養女と相談して病院に入院させ、養護施設に転院になりました。それを義母と義母の妹、親しい姪達から、「養女は財産ばかり自分のものにして、親の面倒を見ない」と・・・・・・、結局、叔母を施設から強引に連れ出し、叔母の全財産を義母の妹に行くようにしてしまいました。その間に初期ガンが発見されていたにもかかわらず、対応が遅れて末期ガンになってしまいました。

 

義母とその姉妹達のために、命まで懸けて行ったことを、頼んだ覚えはなく勝手にやったこと、などと言って平気でデタラメを言うしまつです。こういう人達のために命まで失い、怒りと共に全てを夫にまで隠していたことに対して、情けなく思いました。今までの35年間は、全く義母に利用されるために、その妻のために更に利用されて居ただけに思えて、余りにも情けなく感じてしまいました。生涯を通して、この連中を怨み憎んでいく事になると思います。

これから一人暮らしです。失われた35年を取り戻さなくてはと思いながらも、35年という月日は長く、何につけても思い出されてしまいます。四十九日までは、妻を怨み、あの実家の両親と義母姉妹達を憎みました。それが収まり、百ヶ日までは妻が呼びに来るのではないかと待っていました。それも過ぎて新盆が過ぎると、何につけても一人になった事を強く感じるようになりました。そして、本当は妻は自分に取って、最も大事な人であったと気付きました。失った人の存在は、自分の両親よりも大きな存在でした。

 

法子、長い間ありがとう。子供達も法子のお陰で、元気に良い子に育ちました。本当にありがとう。そして、助けられなくてごめん。最期まで法子には何もしてやれなかった。この次に生まれる機会があったら、また夫婦になってください。今度は大事にします。

ネコとジイチャンの暮らしの始まりです。絶対に施設には入りたくない。自由に自分らしく、好きな生き方をしていきたい。無理な治療や、無駄な長生きもしたくない。